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執筆者の写真MAL

人が持つ時間とエネルギー量の話

完璧な人間などいない、そしてそれに対する他者は十人十色と言われるように各々の捉え方が異なるため、賛否両論はあって当たりまえ。


人の魅力あるいは人の生き方として、個人が持つ専門的カテゴリーで突き抜けた知識と技術とそれに伴う具現化力・実現力があれば、別に他の事は出来なくても良いと、私は考えています。


例えば、ある専門カテゴリーで人や社会に質の高いものを提案提供できるのであれば、バスの乗り方がわからなくても、スーパーのセルフレジの使い方がわからなくても、全く問題ないと思います。


私自身もその様な感じで、フォトグラファーとして人の魅力を引き出すレベルの高いポートレートの提供はできますが(その一瞬に爆発的なエネルギーを注ぐことができる超集中型)、請求書を書いたり(数字系)、1日数時間も作業をするなど、他の事は呆れるほど苦手ですし一般のレベルに劣ります。


カメラを持っていない時の私の日常は、先ほど書いたその一瞬にベストを尽くせるよう、イメージトレーニングと体調管理、そして身体に落とし込んだ心理学のスキルを忘れないための日々の反復作業を行うのが殆どで、それ以外の他は何もしてないようなものですし、自分はその他の事に時間とエネルギーをかける必要はないと考えています。


人が持つ時間とエネルギー量は限られていて、エネルギーも時間と同じく、体調が良くても悪くても、落ち込んでいても元気でも、その人が持つエネルギー量の増減はありません。

だからこそ日々の中で時間とエネルギーをどこにどうやって使うのかを自分自身で考えバランスをとる必要があります。

(その仕組みについてはまたの機会に書いてみます。あるいはいつもの個別・グループレッスンにて)


突き抜けた人達がちょっと変わって見えてしまうのは、本人が好きなことや興味のあることの対象である専門的カテゴリーへ、限られた時間とエネルギー量の殆どを注いでいるが故に、その他のことが疎かになってしまうのではないでしょうか。


これからの日本には各専門的カテゴリーの突き抜けた人材がこれまでよりも必要で、起業者、経営者、個人事業主、フリーランスしかり、また日本で最も多いと言われている会社員であっても各専門的カテゴリーのプロフェッショナルであり少数精鋭になることが必要だと、私は考えます。


とはいえ、専門的カテゴリーで突き抜けるのは良いのだけれど、最低限のEQは持ち合わせておいた方が良い。

それがないと社会で自分の能力を発揮できない結果になってしまうことが珍しくないと感じています。


Photographer MAL



言葉のない詩
No words poetry

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