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執筆者の写真MAL

写真を撮られるのが苦手

「私、写真が苦手なんです。」…

人が写真を撮られるのが嫌いになる、苦手になる要因のひとつとして、写真は笑顔でなければならないという価値観の元で撮られた経験を持つ方々が少なくないのもまた事実かと思います。

モデルやタレントでさえ、ただ「笑って!」と言われたところで素直な笑顔になれない人達もいる中で、撮影に慣れていない一般の人達がフォトグラファーに「笑って!」と声をかけられたところで素直な笑顔が出るとは限りませんし、逆にプレッシャーとなる場合もあるのではないでしょうか。

僕はこう思います… 写真だからって、笑ってなくてもいい、ありのままでいい、その時その瞬間の素直な気持ちのままでいい。

それこそが今ここの生きたポートレートだと、僕はそう思います。

フォトグラファーはその時その瞬間に、被写体とどう関わるのか、意図を持つのか持たないのか、自分の情緒や感情をどれくらい写真に乗せるのかなど、意識してシャッターを切ることが大切であり、そのためにも日々のコンディション管理や自分と向き合う時間を作ることも仕事のひとつだと考えています。

個人的には、写真を撮られるのが苦手な方からのご依頼も大歓迎ですし、そのような方々からのご依頼も少なくありません。

僕と一緒にポートレートを楽しみましょう。

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