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執筆者の写真MAL

対話するポートレート

「治そうとするな、わかろうとせよ。」

心理学を学び始めたころ衝撃を受けたこの言葉は、心理カウンセリングの神様と言われたカール・ロジャーズのものですが、あれから13年経った今でも最も大切にしている言葉であり、自分を成長させていく上で原動力となったもののひとつです。

この言葉をもう少し日常に近づけるなら「アドバイスするな、わかろうとせよ。」「否定するな、わかろうとせよ。」、などのようになるのかもしれません。

「わかろうとする」ということは人の話を「きちんと聴く」ということでもあり、ある程度のスキル(時間と余裕と技術)が必要で、それを日常の中で行おうとするならば、聴き手となる人の心は常に純粋でニュートラル、柔軟で余裕のある状態が望ましく、相手の感情や思考と自分の感情や思考とをきちんと区別できることを身体に落とし込まれている状態が条件として挙げられる。

そう考えると、日常会話では「人の話をきちんと聴く」ことは余りなく、その多くは無難で他愛もないテーマが次から次へとコロコロ変わり結論なく終わる会話が殆どで、日常では相手に対して「わかろうとする」コミュニケーションが極端に少ないと言えるかもしれません。

「治そうとするな、わかろうとせよ。」「アドバイスするな、わかろうとせよ。」「否定するな、わかろうとせよ。」

現代社会では多くのジャンルで「感情/emotional」より「思考/logic」を優先としていることが多いと感じていますが、僕はそんな時代であっても、やはり「感情」や「情緒」を大切にシャッターを切ることを心がけ、ただ綺麗とか上手いとかを追求する写真よりも、被写体となった人も、見る人も、自分自身と対話することができるポートレートを提供していきたいと思います。

ポートレートを通して「私(被写体)はこのままでいいんだ。ありのままでいいんだ。」と、そんなことをお伝えできたなら、僕は本望です。

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