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執筆者の写真MAL

私が写真家ではなくフォトグラファーである理由 / あなたがそこにいることを、私は知っている





私が24歳の頃、当時商業フォトグラファーに弟子入りしようと一ヶ月くらいかけて10数名のフォトグラファーに会いに行ったことがあります。


写真学校もスタジオ経験もない私を直ぐに弟子として使うにはフォトグラファー側としてはメリットが少なく、当時は給料無しでの弟子入りも珍しくはありませんでしたが、私としては家賃の支払いがあったため無料で弟子入りするわけにもいかず、しばらくは思うような展開を得られませんでした。


写真撮影の技術も知識もない私が面接で唯一見せることができたのは、当時独学で行っていた暗室でのモノクロプリントだけであり、初めて手にした安価なカメラと電球ひとつで撮影された数枚のポートレートは余りに斬新的。

後にParisでの個展にまで至るその作品を並べた一冊のポートフォリオは、目立ったものが何もない履歴書にとって代わる私の唯一のものであり私の存在そのものでした。


採用の話もなく少し疲れた足取りと小脇に一冊のポートフォリオを抱え、その日面接に向かった写真事務所のドアを開けると、「やぁ、こんにちは!」と笑顔で迎えてくれた人がいます。


そうです。

それが私の師匠となった人であり、今でも忘れない「やぁ、こんにちは!」の瞬間に「この人だ、この人が師匠だ!」と心の中でこちらから勝手に決めてしまいました。


ポートフォリオを見ていただきながら色々なお話をして、信じられない事に最低限生活のできるお給料もいただけるとのことで、数日後から自分なりに弟子として努めました。


一ヶ月も経たないうちに、

「丸本、名刺できたぞ」と渡されたそこには、アシスタントではなく、フォトグラファー 丸本祐佐 と記載されていて、師匠は「お前を一人前のアシスタントにする気はない、1日も早く一人前のフォトグラファーになれ」と、そう声をかけてくれました。


今でもその光景は強い記憶として残っています。


18歳で上京し24歳になってもまだつたない経験しかなかった私に、一人前になるきっかけを与えてくれた瞬間でした。


現在に戻り…

私はこれまで写真展など行ってきたこともあり、肩書きは写真家の方がよいのではとご提案されたことが何度もありましたが、私はあの初めての名刺に記載されていたフォトグラファーの文字とあの時の師匠の言葉に応えるべく、今でも、またこれからも写真家ではなくフォトグラファーでありたいと思っています。

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